暑い夏から、心地よい秋へと次第に季節が移り変わってきました。季節の変わり目にて、皆様の体調にはお気を付けてお過ごしください。
今回のニュースレターでは、せんとうとまちが協力した東京・北区の3軒の銭湯の調査報告書が発刊されたご案内や、(おそらく)最年少の銭湯調査をしている小学5年生からの取材対応の様子などをご案内します。
銭湯が大好きな小学生の素朴な疑問から始まった調査は、大人顔負けの内容で、今後の銭湯への関わりが楽しみです。
引き続き銭湯のあるまちなみの魅力を発信し、広めていく活動に力を注いでまいります。皆さまのご支援を心よりお願い申し上げます。
『銭湯「稲荷湯」「春日湯」「殿上湯」調査報告書』が発売中です!
「せんとうとまち」が2018年から協力し調査を進めてきた東京都北区の3軒の銭湯の調査報告書が、東京都北区教育委員会によってまとめられ、「文化財研究紀要別冊第32集」として今春に発刊されました。
閉店した「春日湯」「殿上湯」そして現役の「稲荷湯」、どれもが北区で長年営業を続けてきた寺社仏閣を彷彿とさせる立派な東京型の銭湯です。
本書は、聞き取った銭湯の歴史や実測した平面図に加え、建築や物品の豊富な写真により構成されていて、非常に資料性の高い一冊になっています。銭湯好きの方なら必読の内容です。
北区飛鳥山博物館にて1冊500円で販売しておりますので、ぜひお買い求めください。
銭湯をテーマとした「夏休みの宿題」のインタビューを受けました
近年、銭湯を卒業論文のテーマとする大学生が増えています。今年も、何件か論文の相談を受け協力をしました。また、高校生など若い方々からも熱意あるご連絡をいただくこともあります。
その中でも、これまでで最年少の小学5年生からのご相談で、夏休みの宿題のインタビューを受けました。
東京の「谷根千」地域のかつてあった銭湯をマップにプロットして、廃業した年代と立地の関係性を読み解いたり、銭湯店主や銭湯を建てた大工さんへヒアリングしたりと大人顔負けの調査力。さらには、家風呂普及率などのデータにもしっかりとあたり、アンケートや独自に描いた銭湯の図面まで盛り込まれている大変素晴らしい論文となっていました。
銭湯が大好きで普段から銭湯に通っているというご本人の「大好きな銭湯が、なぜどんどん減っていくんだろうか?」という素朴な疑問から始まっているところもとても好感が持てます。
これからも銭湯に通い続け、新しい視点で銭湯の可能性を探ってもらえたらと応援しています。
8月31日付 読売新聞朝刊 「SENTO文化発信」に取材いただいた記事が掲載されました
読売新聞の「蘇る銭湯」という連載の「SENTO文化発信 外国客向けマナー講座」と題した記事で、理事のサム・ホールデンが取材を受けました。
東京の日常体験として銭湯に魅力を感じた経験や、海外からの視点で銭湯がどうあるべきかを語っています。ぜひ、ご覧ください。
▼SENTO文化発信 外国客向けマナー講座
https://www.yomiuri.co.jp/local/tokyo23/feature/CO076980/20240830-OYTAT50032/
2024「銭湯山車巡行」がはじまります!
せんとうとまちの関連団体である「文京建築会ユース」が廃業した銭湯の物品によって作り上げ、2020年より都内を巡行している銭湯山車。今年は秋祭りの時期に合わせて巡行をスタートします。
9月8日(日)には、文京区の簸川神社の大祭にて、千石の丸山町会の子ども神輿について巡行後、展示を行います。
千石は活動の発端となった「おとめ湯」のあった思い入れのある場所です。当日は、拓殖大学と跡見学園女子大学による「行こうよ!文京浴場♨️~学生プロジェクト~」の皆さんが手伝いに来てくれる予定です。
▼Xの投稿はこちら
https://twitter.com/sento_dashi/status/1830871358970175597
また、10月3日〜14日には東京田町のJIA建築会館にて、銭湯山車を展示します。
10月9日にはシンポジウムやギャラリートークも予定しています。期間中には界隈での巡行も模索中です。ぜひ、会場にてじっくり銭湯山車をご覧ください。
<建築展覧会連動企画>
建築文化考2024:特別展示「自分らしさがひらくこれからの社会」
2024年10月3日(木)~14日(月・祝)10:00~17:00
建築博物館ギャラリー(東京都港区芝5-26-20)
https://bunka.aij.or.jp/events/24buknako_2/
横浜都市発展記念館にて展示「能登半島と横浜 ー銭湯がつなぐ人びとの交流ー」が開催中です
横浜から能登半島は遠く離れた場所にありますが、深いつながりがあります。
特に、横浜市内で銭湯を営み支える人びとの中には、能登半島にルーツを持つ人が多くいました。現在も石川県の鹿島郡や羽咋郡、七尾市の神社には、石鳥居や狛犬、灯籠に「横浜」の文字が刻まれています。
横浜で成功した銭湯経営者は、郷里への恩返しとして積極的に寄付を行い、それを見た人びとがさらに横浜へ移住するという流れができていました。横浜市民の公衆衛生は主に能登半島の出身者によって支えられていたのです。しかしながら、今回の地震によって銭湯経営者の残した石造物(文化財)の多くも失われました。(以上、展覧会概要より引用)
横浜のみならず東京の銭湯経営者にも能登半島にルーツを持つ方々が多くいます。ぜひ、この機会に、銭湯を通じた能登半島とのつながりを知っていただけたらと思います。展覧会は9/29(日)まで。
▼「能登半島と横浜 ー銭湯がつなぐ人びとの交流ー」展示概要はこちら
http://www.tohatsu.city.yokohama.jp/feature.html